境塚
| 藩政時代の八沢木地区は、亀田藩と矢島領に接する |
| 秋田藩の藩境であった。また、両藩の成立当初よりその |
| 境界は不確定であったため、境に接する地元農民の間 |
| には土地をめぐる紛争か絶えず起きていた。 |
| 元禄13年(1700)、幕府の裁定により絵図面上では |
| 一応の決着を見たが、その実施において随所に不明瞭 |
| な点があり、同15年に再検使の派遣をもって決着した。 |
| しかし、その後も小さな紛争か幾度となく繰り返され、 |
| 文化10年(1813)に生じた紛争の際、両藩の間で交渉 |
| を重ね妥協案が見いだされた。 |
| その結果、この蟹沢においては、ここを一番塚とし東に |
| 5つの盛塚を築くことにした。 |
| 盛塚は、高さ5尺、盛下14尺、深さ4尺とし、盛塚1つに |
| 炭5升、糠1斗宛埋めたとされている。 (郷土史より) |
| 大森町(史跡)文化財に指定(平成5年1月27日) |
| 大森町坂部字若志田沢 |