左門塚
佐竹山城守(さたけやましろのかみ) 義久の三男として生まれた
宣宗(後の左門)は、横手城代の伊達三河守盛重( だてみかわの
かみもりしげ)の養子となりましたが、政治上の失敗で川西の水沢
(現在の下田)に、とらわれの身になりました。そして3年後の寛永
(かんえい) 9年(1632年)に39歳で亡くなってしまいました。この
左
門の供養(くよう) のために下田地区に塚が建てられました。
・大森町(史跡)文化財に指定 (昭和51年3月31日)
大森町板井田字岩の台